経堂天祖神社
〒156-0052 世田谷区経堂4-33-2
小田急線「千歳船橋駅」徒歩10分
URL: http://www.tenso-jinja.tokyo/
経堂天祖神社は、江戸幕府の編纂した地誌『新編武蔵国風土記稿』(1830)によりますと、「鎮座ノ年代ヲ知ラズ。」「村ノ西ニアリ。ワズカナル祠ナリ。当村ノ鎮守タリ。村内福昌寺持。」と記されていますが、土地の古老の間では永正4年(1507)と言い伝えられています。
永正4年といえば、北条早雲が小田原城主として後北条の基礎を築いた頃で、世田谷はその傘下にある源氏の名門吉良家の領地でした。
鎌倉幕府を開いた源頼朝は、氏神である八幡神と同様伊勢神宮を篤く崇敬しており、関東の地にも御厨といって伊勢神宮へ納める米などの作物をつくる土地を寄進しました。このご縁でご祭神天照大御神を祀る天祖神社・神明社が祀られました。但し、当社がそのご縁によるものかは不明です。
稲荷森稲荷神社
〒156-0054 東京都世田谷区桜丘2-29-3
小田急線「千歳船橋駅」徒歩2分
URL: http://www.h4.dion.ne.jp/~inari/
稲荷森稲荷神社草創の記録は残っておらず、残念ながら不明です。当神社は古くは「菅刈社」と呼ばれておりました。
江戸時代の『新編武蔵風土記稿』には、「菅刈社」とあり、「地名を冠するのだから、古い由緒ある社であろう」と記されています。因みに当地は「菅刈庄」といわれていました。
明治時代、土地の古老たちは、「奥州へ落ち延びた源義経を追って静御前がやってきて、当神社で一夜を明かした」と、言い伝えていました。
また、当神社は、昭和20年代初めまで鬱蒼とした森でした。雨が降っても神社の境内に入ると傘はいらない、といわれるほどでした。稲荷森(とうかんもり、土地の人々はこのように呼び習わしておりました。)といわれる所以でしょう。現在の神社名は、これによっております。