国立国会図書館所蔵の「世田谷区内に伝わる江戸祭囃子の由来」という文献の中に「世田谷経堂に伝わる江戸祭囃子は文化2年(1805年)に、世田谷八幡神社の宮司、元祖大場増五郎より伝承された」と記載されております。
発祥当時の会名は「経堂囃子連中」と称していたそうです。
戦後になり「経堂祭礼囃子普及会」と称したこともありました。
現在の会名は、経堂で生まれた「安宅崩」という曲名に因んで命名した会名です。
流派は「経堂流」元祖で、テンポが早間の囃子です。
現在、活躍されている「石神井町囃子連中」、「石神井台囃子連中」の2団体は、経堂から伝授した囃子で、今も経堂流を名乗っています。
言い伝えでは、文化年間(1823年頃~?)経堂には「安宅崩」、「替違い崩」のほか「替違い昇殿」、「神楽昇殿」、「突破」、「神田丸昇殿」などの独特の曲名の囃子があったとのことですが、時代の流れに伴いこの曲も自然消滅となり現在では、「破矢(組曲-安宅崩し・替違い)」、「鎌倉(組曲-鴫音・三下り)」、「国固目」、「師調目」、「仁羽」などの数少ない曲名を演奏しています。
現在の「破矢」は演奏中に組曲として、昔の名残の「安宅崩」、「替違い崩」の触りの一部を演奏しています。
昭和26年頃より会員が減り、その後10年ほど活動を休止していましたが、昭和37年の再発足を機に会員が増加傾向になりましたので、再び活動が活発化してきました。
約200年の伝統を継承するため、会員の増強や稽古に励み努力しています。